学級戦争 第二話「9月1日」

2017.10.13

 

 

後頭部で一つに結いあげられた鮮やかな赤毛が、彼女の歩くリズムで揺れる。既定の長さを保つスカートに、学校が推奨している靴下。1年E組の学級委員である長塚みのり(ながつか みのり)が早足気味に、けれど決して走りはせずに教室を目指していた。
彼女は通学に自転車を利用しているので、学校が設置した駐輪場へ愛車を停めてから教室へと向かうことが常であった。夏休み気分が抜けずに廊下を走り回る生徒に眉をしかめながらも、自分のクラスへとたどり着き扉を開ける。
「おはよう…あ」
クラスに入ってとある男子が彼女の目に留まる。天気もいい爽やかな朝にも関わらず、彼の表情は浮かない。みのりは荷物を自分の机に置くと、彼のもとへと向かった。
「おはよう二ノ宮くん…なんか具合悪そうだけど大丈夫?」
「ああ委員長おはよ…いやもう…すでに胃が痛くて…」
みのりの呼びかけに青い顔のまま答えた彼―――二ノ宮光輝(にのみや こうき)はこの1年E組のもう一人の学級委員だ。彼は自らリーダーシップを発揮すべく学級委員に名乗り出たというわけではなかった。もともと、周りの空気がよく読めるがゆえに場のチューニング役をつい買って出てしまう彼は、学級委員を決める際になかなか男子から名乗りが上がらず沈黙の続く空気に耐えられず、名乗り出てしまったというわけだ。そんな気遣い上手な彼は、既に気苦労が胃に来ているようであった。
「ちょ…1日目よ!?…保健室行く…?」
「いや…薬もってる…」
みのりが心配そうにのぞきこむが、光輝は胃薬を常備しているらしく、弱々しく提案を断った。
「じゃあしっかりする!病は気から、だよ!」
本人がそういうならと、みのりが光輝の背中をぽんと叩いて激励する。
「あー、うん…そうだな。しっかりしないと」
「あ、それでね。確認なんだけど、今日ホームルームが終わったら学級委員会があるの覚えてる?」
「ああ、覚えてるよ」
「そっか。なら良かった。ただの確認だったんだけど」
「委員長は相変わらずマメだなー。」
「…ねえ。その“委員長”っての…何とかならない?」
「え?」
「いや…確かに学級委員ではあるけど私別に委員長じゃないのになんで…」
彼女の癖なのか、みのりが腕を組みながら唸る。そう。一年生の彼女が学級委員会の委員長に任命されるはずもなく、このクラスの学級委員の一人でしかない。が、彼女の雰囲気がそうさせるのか、クラスメートの何人かは彼女の愛称としてその呼び名を採用していた。
「嫌なら嫌って言った方がいいと思うけど」
「ま、まあ別に…ただのあだ名だし、嫌ってわけではないけど…」
「(満更でもないんだろうな…)」
ごにょごにょと曖昧に呟く彼女から、その愛称を嫌がっている気配は感じられなかった。元より光輝とは違い、自ら率先して学級委員に名乗りを上げた彼女にとってはその愛称も誇りとするべきものなのだろう。
そんな二人の間に割って鳴り響いたのは始業のチャイム。みのりが組んでいた腕を崩し、光輝に向き直る。
「チャイム鳴ったね。じゃあ、私は席にもどるから」
「ああ。じゃあまた放課後に」
「うん、後でね」
チャイムをきっかけに各々が自分の席へと戻り始める。光輝としては胃痛の原因はまさにそこで、出席簿順の状態で席が並べられている今、彼の周りは何かと問題児…少しばかり騒がしいメンツで構成されていた。そのやんちゃなクラスメイト達が戻ってくるのを見て、キリッと痛む胃にまた小さく唸り声を上げる。
頼むから始業式くらいは平和に済みますように、と小さく祈りながら、光輝は体育館へ向かう準備を始めた。

 

 

とかく始業式、というものはどこの学校でも生徒にとってはつまらないものと相場が決まっているようだ。クラスごとに二列で体育館に押し込められて、立たされたまま話を聞かされるのだから当然と言えば当然なのだが。それだけならまだしも、今日は夏休み明け最初の登校日。久しぶりに再会した友人たちとの会話が弾みに弾む。ざわざわと騒がしい体育館内で、校長は話し出さずに登壇したままだ。次第にその校長の様子に一人気付き、二人気付き、体育館内の話し声が少しずつではあるが減っていく。完全に沈黙が広がってから一拍置いて校長は目の前のマイクのスイッチを入れ話し出す。ハウリングがキィ…ンと広がった。
「はい、みなさんが静かになるまで8分かかりました」
そんなお決まりの文句で始まる話は騒ぎたい盛りの生徒たちにとって何よりも退屈で早く終わってほしいものだった。仮に校長が、生徒達を惹きつけ夢中にさせる素晴らしいトークスキルでも持っていようものなら話は別だが、彼らの校長は残念ながらそんな希少種ではない。どんなに立派でためになる話をしようとも、生徒たちにとってはまるでお経。一部の真面目な生徒を除き、前を向いたまま前後、あるいは隣の生徒と小声で関係ない話をしている。例にもれず、彼らも。
「…で、あるからして君たちも~…」
「なあ凛、なーんで校長ってすぐ『で、あるからして』って使いたがるんだろうな」
「知らねぇよ。顎どかせ重いから」
「あ、駅前に新しいパンケーキ屋出来たの知ってるか?」
「いや?それが何」
凛之助と透はどちらかといえば「真面目」とは言い難い生徒であった。出席番号も前後の並びである彼らはとにかく退屈なようで、その様子を隠しもせず、透は凛之助の肩に顎を預け小声で全く別の話題に興じていた。
その二人のすぐ後ろで一人の女子生徒が眼鏡の下から2人を見つめる。
彼女、室舘のぞみ(むろだて のぞみ)はあまり目だたない生徒であった。スカートの丈を短く調整したり、中には化粧さえする女子もいる中で、彼女は至極模範的な生徒と言えるだろう。校則に記されたとおりに制服を着用し、冷え症なのか大抵は上から大きめのカーディガンを羽織っていた。左右に分けられた長い前髪からは額が覗き、背中まで伸びた黒髪をさらりと流している。そんな彼女は間違いなく模範的な生徒であったが、少々特殊な感性と趣味を持ち合わせていた。
「(ああああああっ!!透さん近いよ!!凛ちゃんにすっごい近いよ何その体勢っ!?駄目だにやけるな私いいいいいい)」
彼女の感性においては、凛之助と透は特別な関係に見えるらしく、平静を装う彼女はカーディガンの袖を強く握りしめ、叫びだしたいような迸る熱情を抑え込んでいるようであった。しかしどうにも抑えきれないのか、その口角は上がり、ニマニマとした笑顔になってしまっている。
「(良かった!!私名字が室舘でよかった!!透凛ちゃんを真後ろから!!こんなに近くで!!観察できる!!ありがとうお父さん!!室舘最高!!そして二人が出席番号前後なのも運命か何かとしか思えない!!もおおおお!!夏休み明け初日からそんなにべたべたしちゃってええええ!!!夏休みずーーっと一緒にいたでしょ!!?知らないけど私の中ではそう!!!!)」
彼女を興奮させている原因の二人はどうやらそれには気付かない様子で会話を続けている。のぞみは決して大きな声ではないその会話を一言も聞きもらすまいと自らの耳に全神経を集中させていた。
「我が校の生徒として、どこに行っても恥ずかしくないように…」
「(あーもうっ ちょっと黙っててよ校長先生~!)」
本来であれば話を聞くべき対象でさえ、今の彼女には邪魔にしか思えないようだ。マイクで体育館中に響く声が、聞くことに集中しているせいで嫌でも入ってくる。そんな中でも必死に耳をそばだて、目の前の男子二人の話をなんとか拾うべく神経を集中させていた。
「行こうぜ、パンケーキ屋」
「バカか、なんでオレとなんだよ。女子とでも行けばいーだろ?」
「(ああっ…それは、それはツンデレ!?ツン!?ツンなの!?)」
「デートの前の下見は当然だろーが」
「(そんなこと言って!!それが本当はそのままデート本番っていう流れね!?結局一緒に行っちゃったりして?透さんがお前甘いもん好きだもんなって?凛ちゃんがお前とじゃなきゃ来ねーよとか言ってそっぽ向いたりしてえええ!!?)」
「まーたそれか。じゃあ犬飼とでも行けよ」
「なんで二葉」
「(ンンッッ!!???犬飼くん!?っていうか透さん犬飼くんのこと名前呼びなの!?なんでなんで、えっ待って無理やばいでしょそれ、えっ…何それ捗る……)」
「じゃあ姉貴でもいいだろ」
「まさに涼子さんと行きたいんだよ。だから仕方なく下見役はお前なの。味覚似てんだから付き合えって」
「(あ ね き …。姉貴!?凛ちゃん弟なのお姉さんがいるのしかも透さんはお姉さんをダシに凛ちゃん狙い!?あああ~~供給過多で呼吸困難になりそうやばい倒れる!貧血じゃなくて供給過多で!!ていうか姉貴呼びかわいい……かわいくない?かわいい!!!!!!ちょっとほんと……最the高すぎる…こわ……透凛沼こわ…)」
「てか校長話なっげぇー…」
「中身ないのにな」
「頭の上の方とおんなじくらいスカスカでな」
「っ!やめろお前、笑うとこだっただろ」
「(ああ…透凛尊い…お金を払わせてほしい……この感動を共有できる人がどうしてクラス内にいないのかなー、もうっ!)」
彼女はこの趣味と感性を共有できる友人がクラスメイトにいないことを嘆いてはいたものの、しっかりと隠している。…つもりらしい。クラス全員ではないものの、少なからず彼女の趣味嗜好がクラスメイトに漏れてしまっていると、彼女はまだ気付けていなかった。そんな彼女だけが、誰もが退屈に感じる始業式を我流に楽しんでいたのだった。

 

 

「さーて、ホームルーム始めるぞー」
始業式が終わり、1年E組の担任教師、東間右京(あずま うきょう)が点呼をとる。闇色の髪と薄く青みがかった瞳の、好青年を形にしたような人間だ。出席簿に目線を落としながら一人一人名前を呼び、返事がするたび、そっちへちらりと視線を投げる。
「中村めぐ。……ん?…中村は初日から欠席か?」
そうして何度かそれを繰り返していたが、とある生徒の名前を呼んでも声が返ってこないことに点呼が止まる。右京の疑問の声には香帆が手を挙げた。
「あのっ、多分遅刻してくると思います」
その解答に、そうか、とだけ答えると右京は出席簿にいくつかを書き記し、全員分の点呼を終えると改めて生徒達に向き直った。
「それじゃあ、夏休みの宿題を提出してもらいましょう。お前らちゃんとやってきただろうなぁ」
右京のその声に、一気に教室がざわつき始める。
「やべ、今日すぐ提出だっけ?」
「社会、面倒くさかったー」
「ねー」
「終わってるわけがない」
「それな」
「それは焦ったほうがいいのでは…」
「えーっとこれが読書感想文、数学のノートは…」
「やっば!数学写させて!」
「今更でしょ。なんで今言うの、先週も一緒に遊んだのに。てか先生の目の前」
「はいはい、騒がない。『やったけど家に忘れました』は認めないからなー。じゃあまずは読書感想文からー…」
ざわざわと様々な声が飛び交う中、もちろんきちんと終わらせていた香帆は落ち着き払った様子で座っている。おまけに要領のいい彼女は、提出の際にすぐ取り出せるように宿題だけ手提げ袋に分けて入れていた。
「(あれ、そういえば私、手提げどこに置いたっ、…け……)」
香帆は見当たらない手提げをどこに置いたか反芻して、血の気がざざっと引く感覚に青ざめる。
「せ、先生ぇ…」
「どうしたー、佐倉」
怪訝そうに訊いてくる右京に、香帆はこの世の終わりのような気分で、なんとか涙声を絞り出した。
「その…しゅ、宿題…めぐの家に置いて来ちゃって…」
朝、彼女の家に立ち寄った時。寝ぐせだらけの友人のそれを直してやる為に一度玄関に置いた気がする。途端右京の眉根が詰まり、香帆に向けられたのは険しい視線。
「さーくーらー?今先生『忘れましたぁ』は認めないって言ったばかりなんだが?」
「ごごごごめんなさいっ!で、でもわかりやすいところにあるからめぐが持って来てくれるかも…しれない…ですっ…」
右京の威圧におされて縮こまる香帆。しかしないものはない。仕方がないなと溜め息をついた右京は手元のメモ用紙に何かを書きつける。
「なら、中村が登校してきた時に受け取ればいいんだな?」
「はっ、はいぃ!(お願いめぐ~!持ってきてよ~!?)」
「まあ、単純に終わってないやつも含め、絶対にそういうのはいると思ってたからな。他にも悪あがきしたい奴がいたら16時までは待っててやるからなー。それ以降は容赦なく減点だ」
「ええー!そんなこと言わずに!東間大明神さまー!」
「かしこみかしこみもうしたてまつるー!」
「よーし、お前ら二人だけ期限を14時にするか!」
ふざける男子の声とクラスに広がる笑いを聞きながら担任教師の妥協案に祈りを捧げる香帆だったが、当のめぐ本人は布団の中だ。当然彼女が学校に来ることはなく、香帆は提出遅れでマイナス評価を受けることとなるのであった。

 

 

 

 

9月1日
欠席者 中村(連絡なし)
以上一名

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