学級戦争 第一話

2017.10.12

 

 

 

ジリリリリリリリリ…!

 

…うるさい……。

けたたましいベルの音に目を覚ます。
朝特有の耐えがたい眠気に目を開けるのも億劫で、枕元にあるであろう目覚まし時計を手探りでバシバシ叩く。それでも音が鳴り止まない。ちょっと苛々してきた。こっちは気持ちいい眠気に身を任せていたいのに。
がばっと起き上がって寝ぼけた頭のまま目覚ましと向き合ってみるが、7時半ちょっと過ぎを示す時計が鳴るようにセットされた様子はなかった。
とすると…この音は玄関のドアベルだ。こんな早朝に一体誰だ、と思うまでもなくこんな鳴らし方をする奴は一人しかいない。

「わぁーかった!わかったからぁー!んもーうるせー!!」

床に散らばる教科書を踏んづけながらどたばたと玄関に向かう。チェーンと鍵を外してドアを開ければ、そこには予想通りの人物が立っていた。

「おはよーめぐ!」
「はいはい…おはよう、香帆…」

ひまわりみたいな笑顔でそこに立っていた彼女は佐倉香帆(さくら かほ)。私の唯一と言ってもいい親友。小学校で同じクラスになって以来、学校ではずっと一緒に過ごしている。中学に進学してからもそれは変わらない。もちろん他に友達がいないわけではなかったけど、彼女といる時間が圧倒的に多かったように思う。だからチャイムの鳴らし方一つですぐに誰だかわかった。
一度や二度チャイムを押しても私が出てこない時は、私がすっかり爆睡してしまっているということを彼女はよくわかっている。そんな時は今みたいに私が起き出てくるまでチャイムから指を離さない。寝起きであるのを隠す気もないまま挨拶を交わせば、それでも彼女は満足そうに笑って一歩玄関に踏み込んだ。私の寝ぐせだらけの頭に気付いたらしく、持っていた手提げを置いて髪を撫でつける。まあ、そんなんじゃ直らないけど。

「やっぱり寝てた。早くしないと遅刻しちゃうよ?」

香帆の言葉にでっかいあくびをしたまま一瞬思考が止まる。
遅刻?なにそれどういうこと?ていうかあれ?香帆制服じゃん。やっだぁー、いま夏休みだよ?もう香帆ってばおっちょこちょいなんだから。
……うん。わかってました。香帆が制服なの見て、賢いめぐちゃんは全て理解しましたとも。今日は9月1日。新学期がやってきたわけだ。すっかり忘れてたけど…

「…まさかめぐ、今日から学校なの忘れてたとか言わないでよ…?」

私の考えを見透かしたその問いに、大きく肩が跳ねる。それを見てすぐさま飛んできたのは寝起きの頭にも染み込む、世話焼きモードの香帆のおおきな声。

「もーしっかりしてよぉ!鞄の準備は!?」
「夏休みに学校行く準備するバカがいる?」
「なんで開き直ってんの!夏休みだと思い込んでただけでしょー!?」

ええそりゃもう。どこに通学鞄があるかすら覚えてない。今から探していたらいくら時間がかかるかわからないし、香帆だけでも先に学校へ向かわせよう。

「あたしのこと待ってたら香帆まで遅刻しちゃうから先行きな」
「そうだけど……ちゃんと学校来てくれるの?」

香帆が疑わしそうに私の顔を窺ってくる。このまま私が学校をサボるのではないかと思ってるらしい。ああ、この親友は夏休み終了をすっかり忘れてた私の出席状況を気遣ってくれるなんて、どこまで心優しいのだろうか。

「あーもう、信用ないなー。大丈夫だってば。ホラ、本当に遅刻するよ」

まだ納得してない様子の香帆の背中を軽く押す。なんだかんだで真面目な香帆は二学期初日から遅刻なんてしたくないだろう。

「…じゃあ、先行ってるけど。ちゃんと来てよ?」

再三に渡って念を押してくる香帆を笑顔で見送る。渋々といった様子でパタンと扉を閉め、その外で足音が遠ざかった。いやー、本当に頼りになるなあ。ズボラな私の面倒をここまで見てくれて。うんうん。本当に感謝が止まらない。あの子は私にはもったいないくらいだ。

「…ま、サボるんですけどね」

行くなんて誰が言いましたかね。言質取らないなんて、甘いなぁ香帆。宿題に一切手を付けてないのに行ったって怒られるだけじゃないか。それはごめんだ。
扉に鍵をしっかりかけてから、にししと笑って二度寝のために布団に飛び込んだ。

 

 

めぐったら!昔っからいっつもああなんだから。そう心の中で呟いて歩き出した香帆の目の前を、とあるクラスメイトが通り過ぎた。長い前髪で顔を隠し、俯き加減でとぼとぼと通りを進む彼――木場アズキ(きば あずき)のことを香帆はあまりよく知らない。ただ、いつも何を考えているかわからない無表情で暗い雰囲気を纏っているため、近付きがたい印象があった。そう感じているのは香帆だけではないようで、他の同級生達も好んで彼に近付こうとはしない。にも関わらず、一人の少女だけがそんなことは気にならないようでしょっちゅう彼に付き纏っていた。それは教室でもよく繰り広げられる光景で、今日も彼の放つどんよりした空気を吹き飛ばすかのように、彼女は突撃していく。

「ア・ズ・キ・くぅ~~~~ん!」

どーん!と音がしそうなほど勢いよくアタックされたアズキは少し眉を顰めて少女を見遣った。青緑色のショートヘアーに黒とピンクのリボンといった派手なヘアスタイルを揺らす猫井のあら(ねこい のあら)は満足そうにアズキの腕を取る。無表情なアズキが唯一感情らしきものを見せるのは、彼女と共にいるときだけだった。その感情というのも、概ね好意的なものでないのは確かであったが。

「ねっ、一緒に学校行こう!」
「……っ…」

大層機嫌が悪いらしいアズキとは裏腹に、のあらは頬を上気させながら自らの腕をするりと彼の腕に絡め、さらに距離を詰める。それはさながら猫が尾を絡めるような動作で、アズキは何か言いたげに口を開きかけたが、結局彼女から目を反らし、絡めてきた腕を振り解くと歩く速度を上げてしまった。

「あっ、待ってよ置いてかないでー!もうー、久しぶりに会ったのに!照れなくてもいいんだよ、のあらはみんなに冷やかされても全然気にしないんだからぁ」

 

明らかな拒絶にも全くめげずに彼を追いかけるのあらの姿を、道路を挟んで反対側にいた少年達が眺める。

「まったく猫井もさー。なーんでアレがいいのかね」

紫色の髪の毛を後ろで一つに束ねた宮下透(みやした とおる)は、鼻で笑うようにのあらとアズキの二人を見送る。わからないな、という風に大げさに頭を振ると、特徴的な前髪が揺れた。しかしその目は口調の軽さやリアクションとは裏腹に、ギラリと光る。その横ではピアスをたくさんつけたピンク髪の少年が、パックジュースを飲みながら目線だけ透を見やった。三白眼の目つきの悪さも相まって、一見不良にしか見えない三川凛之助(みかわ りんのすけ)は友人の可愛らしい嫉妬心にはもう飽き飽きしているようだ。肩越しに振り返ると、自分の後ろを歩く犬飼二葉(いぬかい ふたば)に目配せをする。それに気付いた二葉は日を弾く明るい茶髪を揺らして大きく頷くと口を開く。

「単なる親切心かもよ?木場くん、中学からこっちに引っ越してきて、正直浮いちゃってるし」

透を宥めるように二葉は苦笑し、ね?と小首を傾げた。振り返った先の無害そうな彼の困った笑みに、透は一つ溜め息を吐く。が、はたと何かに気づいた様子で値踏みするようにまじまじと彼を見つめる。

「な…なに?」
「…なあ二葉、お前だったら猫井と会話の一つや二つできるだろ?」

二葉はその言葉の意味すること―――つまり、暗に敵陣調査をしろと言われていることはわかったが、首を横に振った。

「猫井さんってあまり自分のことは話さないんだ。そりゃ、クラスメイトだし仲良くしたいけど」
「…会話したことはあるんだな」
「でも、口を開くと木場くんのことばっかりで…木場くんとも何回かしか話したことないけど、みんなよりは詳しくなったかも」
「あんな根暗のことはどーでもいいんだって!」
「ええ…でも、僕よりも宮下くんの方が詳しいと思うよ?小学校同じだったんでしょ?」
「同じ…だった…けど」

どうやら透はのあらに相当お熱のようだ。
がっしりと二葉の肩を掴み、どうにかして二葉に協力を約束させるべく食い下がる。
凛之助はというと、通学路の真ん中で押し問答を繰り広げる二人に足を止めて振り返り、追い付くのを待っているようだ。
そこで、先ほど凛之助がそうしたように、今度は二葉が凛之助に目配せをして助けを求めた。
それに気づいた凛之助は仕方ないといった雰囲気で少し考えてから、

「つーかお前、そんな気になんなら自分から話しかけりゃいーじゃん。他の女子には平気で手出すくせによ」

と鬱陶しそうな表情を隠しもせずにそう言い放った。
すると標的は凛之助にシフトしたようで、透がそちらへ詰め寄っていく。二葉はその後ろで安堵のため息を漏らした。

「凜、お前は俺という人間を全くわかってない。そんなことできてたら最初から苦労してないんだよっ!何年の付き合いだ、それくらい理解してて当然だろ!」
「お前は女子か」
「というかだな、平気で手を出すとか人聞き悪いこと言うなよ。別に手は出してないっつーの。男として、可愛い女子には声かけないと失礼だろ?」

決まった!とばかりにドヤ顔を向けてくる透に、凛之助は朝から何度目かわからない溜息で返す。かと思いきや、突然にやりといたずらっ子の笑みを浮かべた。

「愛しの猫井さんに直接話しかけるなんてぇー恥ずかしくって…透、できなぁーい」

自分の胸の前で手を合わせてお願いのポーズをとり、くねくねと体を揺らす凛之助。と同時に裏声で決して似てはいない透のモノマネをしてからかってみせる。

「なっ…凜てめぇ!」
「つーか、そりゃ“あんなこと“やらかした相手にゃ話しかけづらいかもしんないけど」
「その話はやめろ…若気の至りだ…」

がっくりと肩を落とした友人を少し気の毒に思ったのかからかい過ぎたと反省したのか、ぽんぽんと背中を叩きながら、それでも声色には興味のなさを滲ませながら凛之助がジュースを差し出す。

「1年前かそこらだろ。ほら、これやるから元気出せよ。俺の飲みかけだけど」
「いらねーよ!そこは普通新品奢るとこだろ!」
「つーかまあ、ほぼ空っぽ?」
「余計いらねぇ!」
「あっ、伊狩くんだ!」

結局友人としての時間が長いためか、最終的にはいつもこうして事が収まる。その後ろを歩く二葉は呆れて二人を見守っていたが、前方に青い影を見つけて笑顔になり、透を押しのけて走り出した。透がよろけて凛之助にぶつかる。

「おわっ おい二葉!」
「おはよう伊狩くん!」

透の抗議の声には応えずに、二葉は目的の人物に明るく声をかけた。しかし二葉が呼んでも青い影こと伊狩櫂十(いかりとうじ)は振り向かない。

「伊狩くん?ねぇってば…」

二葉が彼を横から覗き込むと、淵なし眼鏡をかけたクールな印象の櫂十は耳にイヤホンを付けて歩いている。そのイヤホンのコードが続く先はズボンのポケットへ。どうやら携帯音楽プレーヤーを聞いている様子。覗きこまれたことにも気付かない櫂十がお気に召さないのか、むすっとした二葉はいきなり櫂十のイヤホンを剥ぎ取り、その耳に至近距離で叫んだ。

「おはよう伊狩くん!!」

突然の事に驚いた伊狩はビクッと肩を震わせると口を開けて呆ける。その様子に満足した二葉はそのまま鼻歌を歌いながらスタスタと先に歩いていってしまった。

「犬飼…?」

呆然とする櫂十の右斜め後方からクスクスという笑い声。櫂十が振り返ると、燃えるような赤毛を一つに結わいた少女が自転車を押しながら歩いてくる。

「音楽聴きながら登校なんて行儀悪いことするからだよ」
「ああ…びっくりした」
「え…びっくりしてるんだ、それ?」

表情も声の調子もあまり変化しない櫂十の様子に、彼女は逆に驚かされる。
そのまま自転車を押しながら、彼と学校へ歩いて行った。

 

―――今日はこの時間、うちのクラスの人多いな。同じ方向へ向かう制服姿を見やりながら、香帆はまた心の中で呟いた。いつもならまだ眠そうなめぐが隣を歩いているため、話し相手もいるのだが今日はそれもいない。騒がしい通学路ながら、香帆は少し寂しさを感じていた。とはいえもう学校も目の前。
既に彼女の視界に入っている学校の時計は、8時15分を示していた。

 

大きく開かれた校門に生徒たちが吸い込まれていく中、ちょうど道路と校庭の境目部分に一人の女性がこちらを向き立っている。どうやら彼女は学校へ向かう生徒一人一人に声をかけているようだった。

「おはようございます」
「おはようございます…先生、何してるんですか?」

強い日差しに眩しい白衣をなびかせ、その対極にあるかのような黒いストレートヘアを靡かせる彼女は露無マリ(つゆなし まり)。この中学校の養護教諭だ。眼鏡越しに香帆に向かって微笑むマリは、保健室の先生と言うよりも教育実習生のような、まだどこか幼くそれでいて落ち着いた雰囲気を醸し出していた。頼れる保健室の先生、というよりはフレンドリーなみんなのお姉さんのような存在だ。

「ふふ、あいさつ週間の当番だよ」
「あいさつ週間?」
「うん。今日から一週間、教員がここに立って朝の挨拶を促すんですって。私は、何も始業式の日からやらなくてもいいと思うんだけどね」

彼女の印象にふさわしい、ゆったりとした話し方でマリは困ったように笑う。まだ朝で幾分か涼しいとはいえ、まだ残暑は厳しい。彼女が何時から立っているのか香帆にはわからなかったが、全ての生徒が挨拶を返してくれるわけでもなさそうだし、それなりに疲れるのではないだろうか、と推測するのは難しくなかった。

「へー…大変ですね。先生も忙しいのに」
「ううん、保健室の先生って、案外暇なの。他の先生に比べたらだけど。始業式の日は特にね。あ、校長先生の話の長さ次第かな?…まあ、実際は校長先生の話が長すぎて貧血で倒れちゃうなんて、そう頻繁にあることじゃないけど」

にこにこと笑顔を崩さないマリが、笑顔はそのままに香帆の回りをそわそわと見やる。

「それより…今日は中村さんは一緒じゃないのかな」
「えっ 先生めぐのこと知ってるんですか?」
「知ってるも何も有名人じゃない?彼女。この前もなんとかっていう自転車?の大会で優勝したんでしょ?」
「マウンテンバイクです先生…」
「あら、ごめんなさい」

小首を傾げながら曖昧な情報を話すマリに、香帆が修正を入れる。たしかにめぐはこのあたりではちょっとした有名人だ。その情報が保健室の先生にまで伝わっているのは意外と言えば意外だが、どうやら彼女は別の観点でめぐに興味を持っているらしく興奮気味に続けた。

「とにかく私、中村さんのその運動能力にとっても興味があるの。あ、変な意味じゃなくてね?先生昔、ちょっとした研究をしてて…。彼女の運動能力、つまり肉体的な能力ももちろんなんだけど、その根源ってやっぱり脳だと思わない?筋肉を動かすっていうのも脳から送られる電気信号によるものだし、飛びぬけた運動能力を司る思春期の青少年の脳ってどうなってるのかしら!平均的な脳との違いは?得意なスポーツの違いによって脳の構造や発達部位も違うの?脳から送られた電気信号を筋肉に伝えて動かす神経部分にも何か秘密が…?トップアスリートとの差も興味深い所ね、ああ、やっぱり脳科学は神秘に満ちているのよ!!」

ついさっきまでの落ち着いた雰囲気はどこへやら、語尾の勢いも強く話す速度も格段に上がったマリに、目の前にいた香帆は圧倒されぱちくりと瞬きした。話が一段落して落ち着いたのか、マリはハッとして少しずり落ちていた眼鏡を上げる。

「……あら?やだ、私ったら。ちょっと興奮しちゃった。もう研究者ではなくてただの養護教諭なのにね。ごめんなさい。でも聞いてくれてありがとうね。朝から楽しかったわ」
「い、いえ…あはは…」

少し引き気味の香帆が曖昧に笑みを返す。だが、マリは話せたことで満足したらしい。あいさつを交わした時よりもずっと上機嫌に腕時計に目を落とした。

「…もう行った方がいいわ。引き留めてごめんなさい。またね」

その言葉に香帆が時計を見れば、長針が重たそうに文字盤の4の上から進むところだった。始業式の前に一度教室に荷物を置かなければ。香帆も他の生徒同様、小走りで学校へと吸い込まれていった。

 

 

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