学級戦争第二十話「9月24日」

2018.06.19

 

『人の一生は重き荷物を負うて遠き道をゆくがごとし』と言ったのは、たしか徳川家康とかいう狸じじいだったか。

 

「ぐっ……ま、まだ3階か…」

今まさに、俺、六島灯(ろくしま ともる)は重い荷物、それも俺が今後使うのかもわからないような代物を抱え、4階にある美術室までの遠い道のりを一歩一歩進んでいた。ぜーぜーと肩で息をしながら、自分のすぐ目の前に表示された階数のプレートを確認。そこには3の数字。目的地はまだ先だ。
「…六島、大丈夫?先にこれ置いてきて手伝うか?」
3階と4階の間に設けられている踊り場から、伊狩が声をかけてくる。
「も…問題…ない…」
「そうか。じゃあがんばれ」
伊狩はそう一言だけ残し、踊り場から姿を消した。正直なところ、腕はもう限界を叫んで震えているし、それを支えている足もじんわりと筋肉に痛みが広がっているし、今すぐこれを放り投げたい。
たまたま今日日直だったから。そんな理由で当然のように教師に雑用を言いつけられ、それをこなさなければならないのは如何なものか。くそっ…これだから大人は…
しかし、文句を言ってるだけじゃこの苦行が終わらないのも事実。仕方なく疲労に悲鳴を上げている腕やら足やらに鞭打ち、階段を登り始める。
なんとか踊り場まで進んで、向きを変えてからさらに続く階段を見上げる。
目的地の教室があるフロアへと続く階段を、一つひとつ踏み締め登る。ああ畜生。絶対こんなの馬鹿げてる!
頭の中では文句を大声で叫びながら、それでもなんとか登り切る。
「あ、登りきれたのか」
そう言った伊狩は、どうやら階段の先で俺を待っていてくれたようだ。
「なめんなって…もうあとは廊下だけだから平気だよ」
「そう」

 

強がった半分は意地みたいなものだ。俺よりも非力そうな伊狩が平然とした様子で成し遂げたことを、俺が投げ出すのもなんというか…格好悪い。別に俺だって筋肉がついている方でもないが。
とにかくなんとか階段を上りきった俺たちは、目的の教室に入ってこの重荷を下ろすことが叶った。
「っあー!ったく、なんでこんなことしなきゃなんないんだ!」
「お疲れ」
授業終了後に美術担当の先生に呼び止められ頼まれた仕事。HRが終わったあとでいいので、一階に届いた新しい石膏像を運んでほしい、との無茶苦茶な言い付け。それが届いたのが一階教員用駐車場、そこから四階の美術室へ。
石膏像は大抵が胸像だけど、それなりにサイズもあるし重量もある。それを抱えて一階から四階への階段を登るのはなかなかにキツイ。
「こういうことを生徒にやらせるっていうことがそもそも非効率だろ…」
思わず漏れた本音は、自分でもわかるほどに不満に満ちていた。
「じゃあ、帰るか」
「ああ。鍵は?」
「持った」
苦労して運んだ石膏像は、苦悶の表情を崩さないまま安置された机の上でじっと俺たちを見ていた。その視線を背に受けながら美術室を出て施錠する。
「六島、結構腕力あるんだな」
「? そうか…?」
唐突に伊狩に振られた話題は、意外なものだった。
「うん。六島細いし、もっと力無いかと思ってたから」
ほとんど変わらない表情のままそう告げられて、面食らう。まあ、他の同級生を見ても、客観的に言えば確かに体育会系というか、体力自慢には見えない自覚はある。
「カメラがさ、機材もろもろ含めると結構な重さになるから。カメラ自体も望遠レンズつけると結構重いんだぜ」
「かめら……六島は写真が趣味なのか?」
「趣味というか生きがいというか…ライフワークみたいなもんかな。まあ、まだまだアマチュアの域は出ないけど」
ふうん、と相変わらずの表情で相槌を打つ伊狩の目が、メガネの奥でなんとなく興味深そうな色を灯していた気がした。…興味あんのかな、カメラ。
「何撮るんだ?風景とか…野鳥?」
「いやいや、俺はもっぱら推し」
「おし…?」
「そう、いいぞアイドルは」
あの運命の日。たまたま暇だったし、友人の付き添いで行った地下アイドルのライブ。そこで俺はあまりにもあっさりアイドルという存在にハマった。それまでは全く興味がなかったのに、だ。これを語るにはしっかりきっかり3時間は必要なので割愛する。
「っていうか、腕力の話なら伊狩だってそうだろ?驚いたよ、見るからにインドア派って感じなのにアレを涼しい顔で持ち上げるんだから」
「ああ…」
伊狩が少し考え込んだような仕草を見せて、言葉を続ける。
「よく言われる。だけど、趣味がアウトドアだから、なんだかんだで筋力は付くんだ」
「あ、アウトドア!?」
「うん」
意外にもほどがある。いつも音楽を聴きながら席に座ってるし、無口でメガネで、“アウトドア”なんて言葉とは無縁に見えるのに
「へー…すげーな…キャンプとかそういう?」
「そう、鳥捌くのとか結構力いるんだよ」
「ああ、なる…えっ何捌くって」
なんだか中学生がやるとは思えない単語をキャッチした気がして、耳を疑う。捌く?鳥?それは…アウトドア、の範疇なのか?
「? こう…まず羽をむしって」
「違う違う違うやり方じゃない、詳しいやり方じゃない。というか聞き間違いじゃないんだな?」
「何がだ?」
………伊狩って、天然なのか?席も遠いし、あんまり話したことなかったからというのもあるが、クラスメイトになって半年でついたイメージを覆すようなことばっかりだ。
その後、他愛ない話をしていたが、階段を降りるときにどこかからヴァイオリンの音がするのに気付いた。知らない曲だったけど、なんだか気になって、伊狩に美術室の鍵を任せてそのまま別れた。

 

ちょっと歩いてみたところで、軽やかなヴァイオリンの音色は、音楽室から聞こえてきているのだと確信する。と、ここまでで自分の境遇がある人物と全く一緒であることに気づく。
細川に借りてうっかりはまってしまった、「僕のスマートフォンは最新式ではない」、通称「すまない」で主人公がヒロインの生徒会長と出会うシーンと、すごく状況が似ているのだ。…ともすれば。生唾を飲み込んで、音楽室の扉を開く。

…が、そこにいたのは見知った人物だった。
「なんだ…森谷か」
肩の力が抜けて、つい漏れた言葉が届いたのかヴァイオリンの音が止んだ。
「あれ?六島。どうしたのこんなところに」
「いや、それが…」
「あー、待ってね言わないで。当てるから」
森谷が首を傾げながら視線を宙に彷徨わせて楽しそうに口元に笑みを浮かべるので、それに従い一度黙る。
「んー……まさかヴァイオリンの音が聞こえたからってカワイイ女の子が弾いてて、運命の出会いを果たしちゃうかも~…なんて、思ってないよな?」
「!!」
概ね当たっているその発言につい肩を強張らせてしまった。いや俺は別にそんな妄想でしかありえないような状況を現実に重ね合わせるなんてそんなことは
「…あのさ、余計なお世話かもだけど”すまない”に影響されすぎじゃない?」
「ぐっ!い、いいだろ別に!!」
「ふふ 残念、俺でした」
からかうようにやんわり目を細めて歯を見せ笑う森谷。
本当に残念だったよ。可愛い女の子どころか性格の悪い友人がいたんだから。
「そ、それよりどうしたんだよそのヴァイオリン。自前か?」
話題を変えるために、森谷が今まで演奏していたヴァイオリンに注目させる。
「まさか。ここの備品みたいだよ。他にもチェロとかヴィオラとか…ここに在るのだけで弦楽四重奏でもできそうなくらいいろんな楽器があったけど」
「勝手に借りたのか?」
「黙ってればばれないばれない」
そう言って、また構えて弦を動かすと、先ほどの曲をワンフレーズだけいとも簡単に奏でてみせる。なんの曲だろうか、多分クラシックなんだろうけど俺には曲名がわからなかった。
「…忘れてたけどお前、そういやヴァイオリン弾けるんだったなと思った」
「ははっ。うん、俺もよく忘れる」
森谷がDTMやアニソンのアレンジを好み、自らそういったことをしているのを初めて聞いた時には驚いたけど、DJイベントにも参加したことがあるらしい。ぱっと見そうは見えないから、本当に不思議なもんだ。俺や細川なんかは言っちゃなんだが、「見るからにオタク」だし、室舘も「見るからに腐女子」だというのに。
「でも続けてるってことは、やっぱ周りに期待とかされてんの?」
その言葉に、森谷がいつもの柔らかい表情を、ほんの少しだけ崩して反応を示した気がした。…けど、次の瞬間にはいつもの様子の森谷。…見間違い、だろうか。
「兄さんのが優秀だから、うち」
「…あ、ああ。そっか」
「うん。俺いーっつも言われてるよ。兄さんを見習いなさい、兄さんはあなたくらいの時こんなに優秀だったわ、って」
「…俺は、森谷もすごいと思うけど…お前の作ったアレンジの動画、再生数すげーじゃん」
「ん、ありがと」
そう言って森谷がまた軽やかに奏でたフレーズは、俺にもわかる曲だった。アニメ版すまないのオープニングのサビ。楽譜とか、暗記してるのか…それとも、絶対音感とかいうやつなのか。俺にはわからないけど、単純に自分のできるパフォーマンスで人の心を打つことができるのは、すごいと思う。
その裏にどんなきつい努力や苦しみがあっても、表には出さないで、誰かを笑顔にできるのは…すごい。だから俺はアイドルが好きだし、彼女たちが輝くステージや撮影会でその一瞬を切り取ることに感動を覚える。だからアイドルに限らず、そういうのは尊敬している。
…けど、森谷はヴァイオリンを弾いている時、どこか、苦しそうだ。いや、寂しそう…?ステージ上のアイドルたちを見慣れているから、なんとなくわかるような気がする。
「ね、六島はさ、神様って信じる?」
「は?」
すまないのOPのメロディが途切れ、脈絡もない質問が飛んできたものだからあっけにとられる。
「別に気は遣わないでいいし、答えもなんでもいいよ。俺無宗教だし」
「…唐突すぎるだろ……どうだろうなー…まあ、倍率高いチケットとか当たった時は神様ありがとう!とはなるけど」
「あー、うん。六島っぽい」
「なんだよ俺っぽいって…そういうお前はどうなの?」
楽しそうに笑った森谷に、そっくりそのまま質問を返す。
「いるよ」
「…お、おう」
間髪入れず、妙にはっきりと言い切られたその言葉に、たじろぐ。まるで、その存在に会ったことがあるかのように。
半身を翻し、窓の方を向いてしまったので、表情は見えない。
「いるし、こっちにちょっかい出してくるんだよな、天使、つかってさ」
「…て、天使?ちょっとそれは拗らせすぎじゃ…」
あまりに突飛な発言に厨二病を疑う。まあ、森谷なら拗らせてる可能性もなきにしもあらずだけど…

 

「ちょっかい出すわりに、味方する気はないんだよな。神様との賭けに、人間の誰が勝てるっていうんだか。神のみぞ知る、なんてよく言うよ。最初からイカサマのくせに」

 

その言葉だけが、やけにはっきり音楽室に響いた。
強く、静かに、だけど感情の籠った声が、強く響いて防音の効いた部屋の中に消える。そのまま、シンと静まり返った。

 

何秒か後に森谷が振り返る。それはあっけないくらいに、いつも通りの森谷だった。
「さて。俺はもう少しここで練習していくけどどうする?一応大会近いんだよね」
「…大会?ヴァイオリンのか?」
「そ。まあ俺の年代のグループには高里さんいるし、勝てるとは思ってないけど。兄さんは勝つだろうし、父さんと母さんはそれで満足でしょ」
「じゃあ、邪魔しちゃ悪いし帰るよ」
「ん、わかった。じゃあ気をつけてね」
そう短く言葉を交わして、音楽室を出る。漏れ出て聞こえる背後の音色は、今日何度も聞いたあのメロディだった。
「(あれ、大会の課題曲だったのか)」
俺はヴァイオリンの音の違いなんてわかるほど、いろんな音楽を聞いてきたわけでも、教養がある訳でもない。
なんなら、普段は耳がおかしくなるほどに爆音の電子音に飲み込まれているし、それを心地いいと思っているくらいだ。
歌詞のない、いわゆるインストゥルメンタルやクラシックなんてほとんど聞かないし、愛らしいアイドル達の歌声で彩られた歌の方がずっと好きだ。

それでも、
なんとなくその演奏が、ひどく心を揺さぶった。
そして、不意にあの言葉が、脳裏をよぎった。

『ちょっかい出すわりに、味方する気はないんだよな。神様との賭けに、人間の誰が勝てるっていうんだか。神のみぞ知る、なんてよく言うよ。最初からイカサマのくせに』

その言い方は、まるでその賭けに負けたかのような言い方じゃないか。

 

 

 

 

9月24日
日直 六島・伊狩
欠席 篠沢

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